神のこふき(古記)鴻基

月日二神

 

この世の本元というは、月日というもなく、人間もなく、世界もなく、只泥の海ばかりなり。その中に神というては、二神いたるばかり。これ今日の月日二神なり。月様というは、くにとこたちの命というなり。おん姿は、頭一つ、尾一つの大龍神なり。日様というは、おもたりの命というなり。おん姿は頭十二、三つの尾に三つの剣ある大蛇神なり。

その中により月様が先に出て、国床を見定めて、お固めになり、日様へご談じなされるには、泥海に、月日二神いたばかりでは、神というて敬いする者もなく、気のいずみたること故に、人間を拵え、その上世界をはじめて、人間に神が入り込みてもの事を教えて守護すれば、人間は重宝になるもので、陽気ゆさんその他なに事も見られる事と相談定まる。

 

種、苗代の道具雛形

 

この人間を拵えるには、種、苗代の道具雛形なくてはかなわぬ事と道具雛形見出すもよう。

それより二神、天より泥海中を見澄ましたもうに、今なる北の方にあたりて、ぎぎょという魚がいる。この魚は今の人間の顔で鱗なし。肌は人間の肌合い。これ今世の人魚というものなり。

また見澄ませば、今なる南の方にあたりて、巳という白蛇がいる。このものも今の人間の肌合い。顔は人間にして鱗なし。この二つのものを見るに、その心まっすぐ、まこと正しきものなり。故にその姿と心を見て、人間を拵える種、苗代にもらい受けようと相談しまして、この二つのものを引き寄せ、二神いわく、

この度、その方の姿と心をもって、人間の種、苗代の雛形にもらい受けようと仰せられれば、二人とも嫌がるものに楽しみを聞かして、

人間を拵え、世界を拵え、天地開けたその上は人間よりその方二つを世界一の神とし、尚、人間の親神というて礼拝さすなり。またこの世の子数の年限たちたるならば、因縁の地場へ人間として生まれ出し、それからは陽気遊びをさすとの約束にて、二つのものをもらい受け、速やかに神名をいざなぎの命、いざなみの命と名付けたもう。

 

男女一の道具、五体の道具雛形

 

それより男女一の道具、五体の道具、人間の魂を見出すもようと相談しまして、二神泥海中を見澄ましたもう。

見澄ませば、今なる南東の方にあたりて一もつあり。このもの皮強く、こけぬものにて、国床にひっついておるもの。これ今世にある亀なり。このものを引き寄せ、承知をさしてもらい受け、食べてその心味を見て女一の道具と定め、尚、人間の皮つなぎの道具とし、世界ではよろず一切つなぎの守護とする故、この理をもってくにさづちの命と名付けたもう。

また今なる北西の方にあたりて一もつあり。このものへんにしゃくばりて、突っ張りし、勢い強くなるもの。これ今世にいうしゃちほこという魚なり。このものを引き寄せ、承知をさしてもらい受け、食べてその心味を見て男の一の道具と定め、尚、人間の骨の道具とし、世界ではよろず一切突っ張りの守護とする故、この理をもって月よみの命と名付けたもう。

また今なる東の方にあたりて一もつあり。このもの頭の方からも、尾の方からも自由自在に出入りをして、勢い強く、そうたい豊かにして、ぬるぬるとしてぬめりあり。これ今世にある鰻という魚なり。このものを引き寄せ、承知をさしてもらい受け、その心味を見て人間の飲み食い出入りの道具とし、世界では、水気上げ下げの守護とする故、この理をもってくもよみの命と名付けたもう。すなわちこれらをもって五体の道具とするなり。

 

息吹き分けの道具雛形

 

尚、人間の息吹き分けする道具見出すもようと、二神泥海中を見澄ましたまえば、今なる南西の方にあたりて一もつあり。このもの身薄き姿にて勢い強し、丸いものや、角なるものは風が出ず、このものは身薄きもの故によく風を生ず。これ今世にある鰈という魚なり。このものを引き寄せ、承知をさしてもらい受け、その心味を見て人間の息吹き分けの道具とし、世界では風吹き分けの守護とする故、この理をもってかしこねの命と名付けたもう。

 

生死の時の縁を切る道具雛形

 

それより人間の生き死にの時に臨んで、縁を切る道具なくてはかなわぬ事と、泥海中を見澄ましたまえば、今なる北東の方にあたりて一もつあり。このものいたって大食するものにて、腹袋大きくしてよくあたりて、切る勢い強い。このものは食べてあたるもの。これ今世にあるふぐという魚なり。このものを引き寄せ、承知をさしてもらい受け、その心味を見て人間生き死にの時の縁を切る道具とし、世界ではよろず切るものの守護とする故、この理をもってたいしょく天の命と名付けたもう。

 

食物の引き出しの道具雛形

 

この上は人間の第一の楽しみとする食物を、地より引き出す道具雛形見出す事と、泥海中を見澄ましたまえば、今なる西の方にあたりて一もつあり。このものいたって引力強く、引いても切れぬもの。これ今世にある黒蛇なり。このものをひき受け、承知をさしてもらい受け、その心味を見て人間の引き出し、引き伸ばしの道具とし、世界では食物や地より生える物のよろず引き出し、引き伸ばしの守護とする故、この理をもっておうとのべの命と名付けたもう。

これにて道具雛形揃うなり。

 

人間自己の魂を定める

 

それより、二神相談ありて人間一人ずつの自己の魂を定めたもう。

見澄ませば、泥海の上面一列どじょうばかりなり。このものの数は、九億九万九千九百九十九すじにて三寸のどじょうなり。これを月日二神引き寄せ、その心味を見て人間の魂と定めたもうなり。このとき月様の食べたどじょうは男の魂となり、日様の食べたどじょうは女の魂となる。

これを神、集いに集い、神、計りに計りたもうというて今世の神道大払え模様というなり。

 

陰陽和合の理

 

これにて月日二神の相談決定す。これより陰陽の和合の理を始めたもう。

いざなぎの命へ男一の道具として月よみの命を仕込み、どじょうを人間の魂として、これにくにとこたちの命の心霊を入り込みて、天をつかさどり、夫の理として父となりたもうなり。

いざなみの命へ女一の道具としてくにさづちの命をしこみ、どじょうを人間の魂として、これにおもたりの命の心霊を入り込みて、地をつかさどり、妻の理として母となりたもうなり。

以上、六物六代を始めとし、この屋敷、甘露台の地場を身体の中央として北枕に寝て、泥海中より九億九万九千九百九十九人の人種を、三日三夜さに、なむなむと二人ずつ宿仕込みたもうなり。すなわち、なというて月様、男一人、むというて日様、女一人をなむなむと宿仕込みくだされるなり。

この事をもってなむとはあうんの事なり。今も人間はなむなむとしている事はよき事なり。なむというのは夫婦の事なり。夫婦とは天と地を型どりて始めた事なり。

 

人間のという名の起源

 

人間という名を付けたのは、雛形の人魚の人と、人間はよき事あればげんという、この二つのりをもって人間と名を付けたもうなり。

 

東西南北の起源

 

宿し込む時、北枕にして、夫婦とも目は西向きにしたもう。この理にて人間死んでも北枕の西向きにし、元々宿し込みくだされた神様へ借物の身を返すのは、この理を忘れぬようする事なり。今の人間も、西、東、北、南というている事も、これは皆人間の宿仕込みの時にいうた事をいうなり。

西は、宿仕込みの時に二神の眼の向かい方を二神の芯という心に西と名付けたもうなり。神の目も芯なり、また人間も両眼は芯なり。これは芯の向かいたる故なり。

東とは、日々に日を西へかす故、東と名付けたもうなり。

北とは、いざなぎの命先に起きて立ち、初めて向かいたる方を、北と名付けたもうなり。

南とは、いざなみの命後より起きて立ち、向かいたる方を、巳様が起きた方にて、南と名付けたもうなり。

 

天の岩戸の起源

 

ここに於いていざなぎの命、いざなみの命の二神は宿仕込みすみて、天の岩戸に三年三月の間留まり、それより泥海の中へ産み降ろしたもうなり。この天の岩戸に三年三月留まる間、いざなみの体内の子数を成人させるは、体内の飲み食いの守護なり。これすなわちくもよみの命の守護なり。

この天の岩戸というのは、泥海中の事にて、今世の大和国山辺郡庄屋敷村中山氏の屋敷の地面なり。また、宿仕込みの地場は中山氏の屋敷の地面の由、甘露台を据える所の由、月日二神よりのお話しなり。

 

人間産み降ろしの訳

 

九億九万九千九百九十九人の子数は一腹に宿りて三年三月なり。いざなぎの命、いざなみの命二神その間腹を養いたもうて、天の岩戸より出たまい、最初いざなぎの命、泥海中の泥をよけ、産場を拵え廻りたもう。そのところよりいざなみの命、子数を産み降ろしたもう。

初めは今なる大和国奈良、初瀬の七里四方の間を七日かかりて産み降ろしたもう。この地場が神方というのは、このところの理なり。残る大和の国中へは、四日かかりて産み降ろしたもうなり。これ故に今なる人間も、十一日おびや明けというて祝いをするのは、最初十一日の産み降ろしの理なり。それより今なる山城、伊賀、河内の三ヶ国へは、十九日かかりて産み降ろしたもう。三十日にして、四ヶ国へ体内の子数の半分を、産み降ろしたもう。これ故三十日を半ゆみというのは、巳様が体内の子数半分を国中へ産み降ろしたる理なり。残る日本国中へは、四十五日かかりて産み降ろし、合わせて七十五日の間に九億九万九千九百九十九人の子数を、残らず産み降ろしたもうなり。これ故七十五日はおびや中というのは、七十五日にて、体内の子数を産み降ろしたもうた理をもって、人間も元の親神のご苦労なされた通りにするなり。

 

産み降ろしの地場が宮となる

 

産み降ろすごとに親の息をかけて産み降ろしおく。この地場は、今の宮の地場となりてあるところなり。この理にて氏子ともいい、産土ともいう。産土の場所には、もと親が土に産み降ろして息をかけておく、この理にて産土という。

 

三度の産み降ろしの訳

 

産み降ろした人間は、泥海の中で五分から生まれ、いざなみの命息をかけて廻り養いたもう。この人間九十九年目にて三寸と成人する。ここにおいて、いざなぎの命お隠れなされ、この人間も皆々死に絶えるなり。

それよりいざなみの命へ一度教えた守護にて、またもや九億九万九千九百九十九人の人間の魂を宿し込み、それより天の岩戸へ留まりて、十月目より、また以前のごとく大和の国を始めとし、日本国中へ七十五日かけてもとの人数を、産み降ろしに廻りたもう。この人間にも五分から生まれ、九十九年目には三寸五分まで成長する。これもいざなみの命息をかけて廻り、養いたまう。ここに至りてこの人間も皆々死に絶える。

それより一度教えたる守護で、またもや元の九億九万九千九百九十九人の人間の魂をいざなみの命の体内へ三度宿仕込み、この度も天の岩戸に留まり、また十月目より大和の国を始めとし、日本の国中へ七十五日の間に、元の人数を産み降ろしたもう。この人間も五分から生まれて、いざなみの命、息をかけて育てて、九十九年目に四寸となる。

いざなみの命これを見て、ここまで段々と成人するならば、五尺の人間になると喜んで、にっこり笑ろうてお隠れになりたもう。この人間も四寸にて親の後をしたって死に絶える。これよりいざなみ様も、人間も皆々死に絶える。この四寸の理と、にっこり笑うた理をもって人間の生まれ出る所も二寸に四寸、死に行く穴も二尺に四尺というなり。

 

神社、仏閣、墓の起源

 

初めより三度いざなみの命体内へ宿し込んだ理をもって三腹という。

初め産み降ろした地場は、今なる所々の産土の神社、氏神の地場なり。故に一宮というなり。

二度目に産み降ろしの地場は、今なる所々の墓の地なり。故に二墓というなり。

三度目に産み降ろしの地場は、今なる所々の山々の神社仏閣の地場なり。これを三原というなり。

それ故今なる人間も一に宮参り、二度目に死に行くと墓に納める。参り所は皆々の恩の報じ所なり。これより人間の魂を鳥や獣、虫類に八千八度生まれ変わらしてくだされるなり。今なる人間はどのようなもののいう事でも、まねができるのはこの理故なり。この間の人間は九千九百九十九年目に、皆々死に絶えるなり。

 

人類のつなぎの親は女猿

 

この時人間のつなぎとして、女猿一人残りしたもうなり。これは、人間の皮つなぎ、女一の道具に使うた、くにさづちの命の変化するところにして導きの神なり。

この女猿の体内へ男五人、女五人と都合十人宿仕込みたもうなり。この人間も五分から生まれ、段々と成人し八寸となる時、泥海中に高低ができかけて、この八寸の男と女が交わり、一腹に十人ずつ男女を産み出し、またもや九億九万九千九百九十九人の人間が生ずるなり。この時にいたって一尺八寸と成人する。人間の成人に応じて天地、世界も分かりかけてきたるこの時に、泥海の水、土が分かりかけるなり。

これより一腹に男一人、女一人と定まりたるなり。すなわち三尺まで成人した時に、天地、海、山分かりかけ、人間もこの時よりものをゆいかけるなり。この理にて今なる人間も、三才でものをいいかけ、知恵もつくはこの理なり。

これより人間も五尺になるまでに、成人に応じて天地、海、山、水、土、速やかに分かり、人間段々と成人するに及んで、食物のある方へと食い廻り、唐、天竺の地場、その他の外国へ登り行くなり。ここに於いて天地まったく開け、世界八方八柱の神が守護くだされる。人間も泥海から離れ、陸地に住まいするなり。

 

人類は兄弟、日本は根、外国は枝なり

 

九億九万九千九百九十九人のうち、最初大和の国へ産み降ろした人間は、今日本国の人種となり、他の日本国へ産み降ろした人間は、食物を食い廻りて、唐、天竺へ廻り行くなり。故に人は皆々兄弟なるべし。すなわち日本は根なり。唐、天竺は枝なり。外国は先々の枝葉なり。珍しき事は、この理にて月日二神が花や、実として枝先に教えたもうたといえども、皆この日本帰り来るなり。故に大和は神国、神方というなり。

最初、泥海中より五尺と成長する道すがら、世界中知りたる者は更になし。この度月日二神元始まりの地場へ天降りありて、お話しくださるというは、この年限満ちたるが故なり。この年限というは泥海中の間は九億九万年なり。五尺の人間となりては、天保九年十月二十六日の朝五つ時に至りて、九千九百九十九年にあいなりたもうなり。

 

神代時代

 

その内六千年の間、何の事も神が人間に教えてくだされるなり。この六千年の間、日本にて神代というて人間は皆、命という名をもちいるなり。

これより人間は知覚を増し、欲心を生じて、悪気さかんとなる故、もと始めた神、人間女雛形苗代とお成りくだされたいざなみの命の魂が人間と変化しまして、天照皇太神宮と現れたもうて、人間の衣食住の道を教えたもうなり。これは泥海の時より月日二神の約束通り、世界を創造して天地開けたその上は人間よりその方二人をこの世界一の神というて礼拝さすとの約束なり。

また、いざなぎの命の神魂は人体と変化しまして、日本天照皇太神宮と現れたまい、悪人を征し、国中を治め、政治を始め、万民を治め、国王を始めたもうなり。

 

この度は人間の内造りにかかる

 

世界年限満ちたるなれば、因縁ある地場へ人体として生まれ出し、陽気遊びをさると仰せられた天保九年十月二十六日は、この世界を創りくださる時の約束の九億九万九千九百九十九年という年限である故、先に生まれさせておいたいざなみの命の神魂を再び人体とし受けさせて、人間創造の元の地場に、引き寄せ陽気遊びをさしてやるとの事である。

この度人間の建て流しの館の内造りをするのやと仰せられて、すなわち天理教教祖の出現となる。人間の母親神、いざなみの命は先に天照皇太神と現れ、またこの度中山みきと現れ、全世界を極楽世界、すなわち甘露台世界となさんが為に出現したもうなり。