同じ因縁

御教祖様「ほこりとほこり寄る。そして互に果てる(死ぬこと)」と仰しゃる。

私はこれを聞かして貰うて、ゾーッとした。これ位深刻なまた厳粛な事はないと思う。何故なら、日々はお互いにどんな日もある。互に腹立てたり、立てさしたり、うらんだり、口へはそれとは出さないにしても、心の中で、濁っているとゆおうか、世間ではよくある事である。人に腹を立てさすのも埃や、立てる者も埃や、それが互に果てると云うのである。

と云うのは、神様は埃な者と、善人とは決してよせん。悪因縁と善因縁と寄せたら、善に対して親(神)はすまぬと仰しゃる。故に、日々寄り合うものの一家は、同じ因縁の者である。誰が悪い、誰が良いの、へだてはない。故に「一人の患いは家内中の患いである」

そこで助かる道は、その家の台となる者が、先達となって、どんど心を治めて、自分がその因縁の張本人と自覚する事である。

心を治めた者から、たんのうをして、側なる者の心を澄ます事が、一番肝心である。

 

 

 

 


慈 悲

 

神を信じるにしても、総て宗教家にとって慈悲の心ほど大切なものはない。宗教を奉じていてももしこの心を取り去ったならば、骨抜きになってしまう。


教祖様の御慈悲

教祖様は、小さい時から、お慈悲深いお人であった。大人も及ばない程であった。幼少の頃、ぬか袋や巾着を縫うて、これを人に与えて、その喜ぶ姿を見て、楽しみとせられた。またお菓子等を親から頂かられても、おあがりにならず、近所でむづかって居る子供に与えて、その喜ぶ姿を見て、楽しまれた。これはあたかも親が子供に物をやって、吾子の喜ぶその姿を眺めて喜ぶのと、さも似たり。

 

故に教祖様のお慈悲深きは、幼少の頃から現れている。これは天性とゆうてよい。この世元始まり、人間創造の時母なる魂の御方であるからである。この天の慈悲が、日々の行動を支配して、殊に十三歳で中山家に嫁がれてよりは、召使から近所はた/\まで、その優しお慈悲でおつとめになり、皆々感ぜないものはなかった。

 

 

ある時は盗人を改心させ、ある時は物もらいに、親に物を恵んでなをその背に負われている子供にまでも、御自分のお乳を呑ましてやられた。口で云えば何でもない事の様に思うが、普通の人は、到底そこまで気が付かない。もし気がついても、そんなきたない子供には、自分の乳を呑まそうと思う者もありますまい。慈悲が深くなかったら、出来るものではない。


三十一歳の時の事

隣家の子供を預かり、その子供のほうそをたすけるのに、可愛い吾子二人の寿命を、神に差上げ、その上になお自分の寿命をも差上げて、おたすけなされた事。

 

これは真の慈悲であって、世界広しといへども、これを良くするもの、誰かある。所謂慈悲の極地である。


父猶吉の話(晩年の頃)

御教祖様ほどへだてのない、お慈悲の深い方は無かったで。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人が本部へ参拝に来られても、みな可愛い吾子と思うておいでになる。どんなえらい人が来ても「御苦労様」物もらい来ても「御苦労様」その態度なり、言葉使いが少しも変わらん。皆可愛い吾子、と思うておいでになる。それでどんな人でも、一度御教祖にお会いさせて貰うと、その心にうたれて、一ぺんにこちらが心を立て替えた。そのお慈悲の心にうたれるのやろう。たとえ取調べに来た警官、あるいは地方のごろつき、皆信仰に入っている。「仲野さん」、郡山平野先生(楢三)父等は、真の母親と同じ心持ちで仕えた。教祖様がよく物を人にお与えになった時、食事中に人が来るとよくご自分のお上がりになっておる食物を、すぐ人に与えられた。カボチャ(南京)をおすきで、よく召上られた。半分のかぶりさしを「さおこれをあげよう」と仰ゃって、おやりになる。一寸見ると行儀なしの様に思われますが、それは教祖様は可愛い子供にお与えになると同じお心もちで有る。

 

それを、貰うものが一寸ちゅうちょして居ると、「きたないかえ」と仰しゃって、むりにおやりにならん。そこから考えると、何とも云えん味わいがある。丁度親が子供にものを与えると同じで有る。


私の考案

この道は教祖様が、天理としての行いは、こうして通る、天理の心使いはこう、と所謂天理のそのままの心使い行いを、先にお示し下されたので有ります。故に教祖様のひながたを措いて、天理教は何処に有ろう。この上から思案すると、御教祖様の如き天性慈悲深くお生れ遊ばし、その上にその慈悲が年限に応じて生長し、完成されたそのままを、吾々凡夫の者がその通り到底通れるべくもないが、せめてはこの慈悲を根拠として、定規として通らして頂かねばならんと思う。

 

日常の行いが、総て慈悲が元となって現われる様になれば、宗教家として完成された者で有る。日常の些細なる事でも、慈悲と云うことを忘れない様にして通る。例えば人と面接すると場合でも、慈悲の心をもって会わして頂く場合は、明快な場面が現れる。総て人はいくらよく出来ても、慈悲なき人に会う時は、そこに何が物足らない様な心も起こる。上の人なれば、唯恐れると云うだけに止まり、決して親しいとか、なつかしいとか、信服するとかの心は決して起こって来ない。

 

一度教祖様にお会いすれば、如何なる苦しみも、煩悶も、心の暗さも、直ちに朝霧のうち払うが如くぬぐいさられ、ひさしく会わなかった実母に会うた様な感じがする。そして信仰を植えつけられる。嘗てある名探偵が取り調べのため来たことが有る。来る時に家が分らいで、農で仕事をしている百姓に、「きとねつきのおみきばあさんの家はどこだ」と問うた。ところがその人は、教祖を一目見るなり、「あゝこれは神だ」と即座に感じ非を詫びて帰った。帰る時に、たずねた百姓(来る時)に、お前等はなで早く信仰せないか、とその人を反対にせめたと云う事である。これまさしく教祖の御人格が、直ちにこの人を感化したので有る。そのもとは何で有るか。あふれでる愛(慈悲)の力に相違ないので有る。

 

教祖のあたゝかき慈悲の心に、人々が皆集まったのである。甘露台の石をその筋が取り払った時、そばに榊の木が植えて有った。それが無惨にも踏みにじられていた。教祖はそれを眺めて、厳然として居られた。側に居合わせた或る人(北村と云う植木屋)が、御教祖の粛然たる姿を眺めて、御気の毒事で御座います。おいたわしゅう御座います。十分御察し申し上げます。と申し上げた。その人はの心は、甘露台の石を取りのけられて、お気の毒であると云う意味で有った。然るに教祖様は、その榊を眺めて「あの木も可愛想やから大事に心をかけて育てゝおくれ」と、この植木屋に申された。植木屋はこのと意外に唯恐れ入ったのである。そしてその榊を家へ持って帰って植えて育てゝ来て有る。今もその老木が有ると子供(植木屋の子供末さん)が申して居た。この話より考えると、御教祖はかゝる植木にまでも、限りなき愛をかけて満足を与えられたと云うことで有る。

 

世界は総て慈悲をもってつないでゆけばよい。慈悲より外につなぐ道はない。嘗て、父(猶吉)はある理の有る方のお助けに、慈悲を以てつなぐより道はないとお諭しをせられました。その後総てに慈悲を加えると云う上から、行いを改められました。そして大病を助けられたと聞かして貰った。理の有る方(前管長様)教師金の免除(じ(十年間)。御母堂様は絹物をお召しにならいと定められ、よいものを総て他人に恵まれ、その後も縮緬類の如きは、おめしになれませんでした。私は考えるに、如何なる苦労も結局は、誰でもこの慈悲の心を人に与えるように神様のお仕込み頂いているのであると、まで思うことも有る。慈悲ほど大切なるものはないが、誰でもこれを与える事が不思議におくれるのでえある。

 

 


埃について

埃なことを見、埃なことを聞いた時は、だれしも心を悪くする。人間としては、どうしても埃をつけずには居られない、こうした場合に如何にしてこの埃を避けることが出来るか。私の考えでは、これには二様の考え方がある。

 イ、 因縁を自覚すること

 

御教祖は「見るも因縁聞くも因縁」と仰しゃった。因縁のないことは現れない。前生前生なり、あるいは十五歳からこちらへつけて来た埃(因縁)、必ず旬が来れば現れて来る。これはどうししてもよける(避ける)こと出来ん。よげることが出来れば因縁やないと仰しゃる。出て来れバいやおうなしで有る。物の道理を云えば、前生で人百人苦しめたとすれバ、今生ではそのむいくいで、百人ぶん苦しまねバならん。前生で人十人たおしたとすれバ、今生で十人分たおれる。家内中くるくる廻っても倒れる。

 

どうでもこうでも、よげること出来ん。そこで因縁を自覚したものは、百人苦しめたとすれバ、早く百人分を、よろこばさねばならん。十人倒したとすれバ、早十人分を、おこさねバ因縁はきれん。これは道理で有る。この因縁を果たす道が、世界では分りにくいので有る。無論世界でも色々なとをして、この罪を亡ぼそうと苦心をする人も有る。今日は親の命日で有るから善行をする。今日は子供の誕生日やから人をよろこばす。或いは何、あるいは何とよくやって居る。しかしこれは単に習慣でやる人が多い。真の因縁自覚の上からやって居るのではなかろうと思う。その証拠には、切角よいことをしながら、すぐ後ろからこの善い事をした事についてこれに倍する様な埃をよく積む。それでは何にもならん。この道を聞き分けたら、そんなことはない。殊に神様は大難は小難、小難は無難にしてやるのでやで、知らずにした事やから無理はない。

 

心改めて通るなら、親が手伝う。百人苦しめてある人でも、十人か廿人よろこばしたら、後は神がたすける。十人倒した者でも、二、三人をおこしたら残り七、八人までは親がたすけるのやで、と仰しゃって居る。そうした温い親心から大難は小難として現れて来るのやから、日々は如何なることが現れても、大きく現れて来るところも、誰にでもいつでも小さく出して貰って居るので有る。で決して埃をつけてはならん。よろこんで日々は通らして貰わねバならん。神様は人を助けたいのが心いっぱいであるから何も無いこをとその人に現わされる筈はない。「しるしない処へしるしつけん」仰しゃる。

 

そういう上から思案して、日々は見るも聞くもすべては因縁果し、そこをたんのうして通らして貰うや。いあ有難い、これでこそ早く因縁を果さして貰えるのやと、よろこんで通らして貰わねばならん。この自覚が大切である。

 

次に

親心を忘れぬこと

 

親は吾子の悪いことはなか/\目にもつかんし、耳にも入らない。それがよしんば他人から見て顔しかめる様な事でも、親にはそう感じないので有る。誠に親心ほど有難いものはない。故に、「あほ見たけりゃ、親を見よ」と云う程で有る。その心さえいつも有れば埃を見てもきいても、決して埃つけまいものと思う。

 

この修養が他人に対した時には。甚だむつかしいので有る。宗教家としての日々のつとめは、こゝに有ると思う。以上の二点で略解決はつくものと私は考えて居る。また日々もこれに努力して居る。