神様は「うそ」と「ついしょう」大きらい、欲に高慢、これきらい、と仰しゃる。
八つの埃(ほし、おしい、かわい、にくい、うらみ、はらだち、こうまん、よく)よりも、「うそ」と「ついしょう」は、おきらいである。
うそとついしょうの元因は、やはり、自分かわい、吾身かわい、と云う欲の心から起こって来る。自分と云うものを、よう捨てきらないからである。
かねて父から(猶吉)「この道は、良い事をしておこられる、悪口を云われる、と思うて通れば、間違いないのや」と聞かされた。言いわけをしたり、心にもない事を云うたり、中心、誠心なくて「おじょうず」を云うたり、あるいは、うそを云うたり、これ皆、吾身かわい、と云う心から有る。故に日々は神様をめどうとして、神様におもたれして、通らせて頂く、人は知らなくても、神様がご存知じじゃ、人間思案するといらん、お歌にも
めい/\のハがみしやんハいらんもの
神がそれ/\みわけするぞや
吾身を忘れ、人間思案を捨てて、日々つとめはけむのが一番理に適うと思う。
父(猶吉)は、明治十二年(十九歳)からおぢばへつとめさせて頂いた。十二年の一ヶ年は、半分本部、半分吾家へ帰った。それは、その頃は、本部では、養うだけの余裕がない、で日々は食費を払うて、勤めさしてもらうので、小遣いの有る間は本部の御用をさして頂き、小遣いがなくなったら、食費を払い事出来んから、小遣いをもうけるために、家(河内)へ帰る。そして小遣いをこしらえる。
ところがその有様を秀司先生(御教祖の長男)がお眺めになって、「猶さん、それでは気の毒や、わたしが食べる一杯の御飯も分けて食べようやないか、もう小遣い貰いに、あんな遠い河内まで帰らんとき」と仰しゃた。
それかは、十三年(二十歳)から、べったり(ずっとの意)おぢばへ、おいて貰う様になった。
以来十余年、御教祖様のおそばで、つとめさせて頂いたのである。
その十余年、御教祖は、父に対して、どんな事を一番、「お喜び下されたか、と申しますと「云いつけられた用事を、よろこんで、素直にさして頂く」これが一番喜ばれた。喜びの有様は、可愛い吾子が、良い事をしている。それを母親が眺めて、喜ぶ姿に、よく似て居る。どんなにしても、喜ぼうかと、なさるそうです。実に真から、お喜びで、居て立ってもいられん、という事になさるそうである。
ある時父の母に(猶吉の母、義一の祖母)
「すなおは、正直やで、すなおな道具は、使い良い、すなおは、神もすけば、人もすく」と仰しゃって、父のすなおな、正直な事を、お喜びになった。
かつて御母堂様(現管長様のお母さん)が私(義一)に
「あんたのお父さんほど、正直すなおな人はいないで、あんたは、高井の家のg継ぐのやから、お父さんの「まね」を、しいゃ、外の人のまねをすることいらんで」
と仰ゃって下さった。またその時に、
「あんたのお父さんは、そばのものから、守りせにゃいかんで」とも云うて頂いた。
この様に、すなお、正直を御教祖様がお喜び下されたのである。御教祖様御喜び下さる事は、神様も、お喜び下さる。
何故にかくの如く、すなお、正直を、お喜び下されたか。
そうは、うそとついしょうと、丁度、表裏になる。うそ、ついしょうの反対は、すなお、正直である。
すなお、正直の心になるには、どうしても吾身、吾心を、捨て切らなくては、なれない事である。
神様は、吾身吾心を、捨てる事を、おせき込み下さる。
へだての原因は、二つにあると思う。
一つは「愛」より来る場合、一つは「気まま」より来る場合とがある。
愛は即ち、吾子可愛いが、人の子は、可愛ゆくない。俗にいう継子である。
「きづい、気まま」より来ると云うことも、つまり、吾身可愛いがもとでわるが、きづい気ままな者は、それが、はげしい。すきなものは、こん限りですきで、きらいなものは、見むきもせん。
これが人に対して働く場合は、大変である。すきな者は、この上なくすきである。きらいな者は、顔をちょっと見るのもきらい、である。日々の食事にしても、仕事にしても、この心あっては、徳が積めん。
御教祖様御存命時代は、つとめの上から、これで、しくじった人が多い。御教祖様は、「人のいやがる勤めは、よけいに、喜んでするのやで、これが道の者の、しんのつとめやで」と仰しゃった。
常に神様の、お慈悲を、喜び御礼申上げること。
神様は如何なる殊も、自由用自在であるが、神様は人間にものを言われる事は、少しもない。人間は言葉を聞かなければ分からん。それでは、神様の思召を人間に伝える事出来ん。
そこで「口で云うより、よく分る様に、身上(病気)で知らす」と仰しゃる。
それで身上事情の場合は、神様は、何か吾々の心得ねばならん事を、知らして下されいるのである、で早く悟らして貰うて、実行せなければならん。
そこで再々身上事情を頂く人は、それだけ神様に御苦労をかけるわけでである。また一面神様は、それだけ可愛いからこそお知らせ下さるのである。云いかえれば、見込みがあるからである。見込みの無いものなら、ほっておゝきになる。丁度吾々が、見込みあれば、吾子にでも再々注意する、いくら注意しても直らねば、親としても、致し方がない。可愛い、いとしいには変わりないが、やむ得ぬと思う。神様よりそんな様に思われたら、いつどこでどんな事になるやら分からん、それこそ一寸先はくらやみである。そこでいくら身上や事情が出て来ても、喜ばねばならん。
これ位しておるのに、なんでやなあ、と小言を言うたり、思いつめたり、する事は、大変に申訳ない。
神を拝する時に、無限の喜びと、また一面申訳ないと云う心が、出なければ、いくら願ってもたすからん。治まらん。日々は感謝、たんのう、の生活こそ、神様のお喜び下さる第一の、吾々のつとめるべき事であると思う。
教祖は「男は水のような心、女は火のような心」と仰ゃった。
先ず女の方から申し上げる
これは別に変わった話でももないが、知っておかないと、やゝもすれば間違いをおこす。
女には女としての神様の使命がある。即ち、女の人は誰しも、子を育てると云うことが使命である。子供に乳を呑ました育てると云う事は、温い心が無くてはならん。母親が吾子を育てるのに、自部の一切を犠牲にしてまでもそれが楽しみとし、何に喩え様も無い幸福を感じているからである。これ以上の慈悲、温い心はない。世の中では母性愛であるとか、あるはいは母の愛の犯すべからずとか、申すのである。戦場で突進する勇士とへども、母を一番慕うとゆう事は、誠にもっともな事である。
母親にしてこの温かき、慈悲の心の無かったならば、子供は決して育たない。
御教祖は「この温い心を万人に使うんぼやで」と仰しゃる。これは人間として、一番むつかしい事であるが、御教祖は御自分からお通り下されている。ひながたの中に、人の預かり子を助けるために、可愛い吾子二人の寿命まで差し上げて、なおそれでも足りなければ、願満ちたるその上は、私bの命をも差し上げます。とお誓いなされて、預か子をお助けんなさったのである。父(猶吉)が申されましたが、御教祖ほどへだての
ない方は無い。おぢばへどんな人が参りましても、皆可愛い吾子と思うて、おいでになる。如何人が参りましても、御苦労さん、物もらいが来ても、御苦労さん、少しもへだてはなさらん。世の中総ては、この温い心、慈悲の心でつながって行くのである。女は子を育てる、その心を万人に及ぼせ。所謂女はつなぎの役目をもっている。故に女のつとめは、つなぎやと申すのである。
物はつながってゆけば、総ての土台が出来て来る。それで女は台やとゆう。お道で云へば「道の台」となるのである。大きいか小さいかは同じで、女の心一つに依って、その家の土台も狂うのである。
そこで女は温かい慈悲の心をもって、世界総てを、つないでゆく。故に人には満足を与えなくてはならん。そうゆう上から、特に「口軽う産れさしてある」仰しゃる。所謂女の人は、口が軽いのである。これは特に人には、成程と口で満足を与えるためのである。その口軽う守護下れておる事を、悪い方へ使うてはならん。余計な事を、しゃべって、折角治まっている家の中をも、ごちゃ/\にしてしまう。甚しいのになると、他人の家までごちゃつかす。よくある事であるが、田舎の小さい村では、朝起った些細な事でも、一、二時間過ぎると、ちゃんと村中に知れ渡っている。大抵は女の人がそれからそれへと、云い伝えて行くので、まるで連絡員をつけてあるようなもの、田舎は景色はよくて、静かであるが、これでは窮屈で仕方がないと、こぼす者もある程である。そんな余計なことを云う暇がるなら、人に満足与える。人を喜せること、人の助かることを、云えばよいのである。日々の理は大きい。日に一人ずつ満足与へても一年には、三六五人も喜ばせる。十年には何千人、自分一生には、何万と云う人を喜ばせる事になる。その反対に、日に一人ずつ苦しめておけば、自分一代には何万人と云う人を苦しめる。慎まねばならんのは、女の口でる。
男は「水の心」と仰しゃる。水とゆうものは、なではい(素直のこと)なもの。やさしい心である。円い器に入れたら円くなる。四角なもに入れたら、四角になる。即ち水に性にならうのである。
それは男の使命が、一家を治めることにある。また妻子を養い育て、治めをとってゆく。それに、ごつ/\していれば、家は治まらん、ごつ/\を当り散らせば、治まった火でもまた燃えさかる。あたかも静まった焚火を、棒か何かでいらう様なものである。故に男は、やさしい、すなな心で、日々通ことが肝心である。
先輩先生が別席に、よく話された事であるが男は水の性、女は火の性、如何なる強い火でも、水ををかけたら、しゅんとゆうて消える。おれは消えんと云えん、でも男の方からそんことしては、いかんと云われたら、いかな理由が有ろうと、一時でも「はい」とゆうて止めねばならん。それが理というものや。
御教祖は何一つとして夫様には、おさからになさった事はなかった。それがひながたや。それに一々言い訳をしたり、反抗をしたりすると、終いにはランチキ騒ぎになる。そうなると、女は力が弱いからかなわん、男に手向かいようせんから、今度はおとなしくしている子供に当たったり、また仕事に当たったりする。そばから見れば、馬鹿みたいなものや。その馬鹿みたいな事を、平気でやっておるのである。
そのように、一つでも埃積んだら、一生には何万とゆう埃積む、結局、必ずその勘定日が来たら、待てしばしはない。そうなったら、何でやなあーと云わねばならん事が興って来る。
このお道のお話は、一言は十言に与えすると仰しゃる。一言の話でも、成程と腹に治まったら、助から身上も助かる。治まらん事情も治まる。成程と治める処に、助かる理があるのや、と父から聞かされた。
それはその通りで、お話はよくわかっていても、守れない事もある。
御教祖は、日々教理を聞いて成程そうに違いない、と感じる事は、心の養いと仰しゃる。早い話は、人間は米を食うて、日々の養いを、とっている。食べなければ、身上はやせる。日々に教えの理を聞かして貰い、成程と感じる事は心の養いである。それで心に力が出来るのである。故に解った話でも、何篇も/\聞かして貰うて、その時に感じを腹に治める。それが「成程の理を治める」と云う事になるのである。
心に納得出来ると、心に力が出来る。この事を「成人」と云うのである。あんな所、よう辛抱したものや、普通の人なら到底出来ん。まいってしまう。然し本人にして見れば比較的平気である。一寸した事で、心を濁らしたり、狂うたりするのは、心に力がない証拠である。「悪いと知りつゝも、やめられん」と云う事を、世界の人からよく聞く事である。お道でも、あの人はあれは、いずれひどい目に合わねば治まらん、とよく聞く事である。
誠にいまわしい事である。
日々に教えの理を聞かして貰うて、心に力を附けることが肝心である。心の成人を願うのである。
“心の成人まちかねる
神のおもわく こればかりやで”
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