第一章  先生の為人

お道の古い先生に「辻忠作先生の印象は」とお尋ねすると誰方でもきまって「変わり者だった」と仰います。その性格の然らしむる所か、非常に寄行に富んだお方であった。

 

(一)

先生は非常に働く事の好きな方で若い頃、お道に這入られる以前から村で「千日さん」と仇名されておられました。それは一日の日を三日分位も仕事をするから一年三百六十五には千日働くと云う所からだそうです。

 

家族の人達にも常に「働け/\」と言って居られました。

 

自分でも人に

「田の草取りなど人は片手でするがわしは両手でする。子供の守りでも一時に三人はする。仰向に寝ころんで両足に一人ずつつかまらせ手で一人遊ばせてやる」と言っておられました。

本部員になられてからも、本部の農事が忙しいと聞くと自ら股引穿いて田植えなどを手伝われました。

 

(二)

お助けは極く親切な方でありましたが

「今日は二階堂の西までお助けに行くから一杯だけよけい食ってこう」

と言って御飯をいつもより一杯よけに食べておられました。又ずっと遠方へお助けに行く時でも御弁当なしてその代り出かける時に御飯を二度食べて行かれました。この辺は常人の真似られぬ所であります。

 

(三)

人にお話しを聞かせる事が好きで、信者なんかが参拝して来るとこっちから飛び出して行ってお話をしてやると言う風です。又お授けをなさる時はいつでも教祖様から頂かれた赤衣さん(袖なしの様なもの)をひっかけてせられました。それは平生箱に入れて詰所の棚の上に載せておいて、人が来ると出して来られました。

そんな風ですから人が

「辻さん話を聞かせて下さい」

と頼むと誰れにでも喜んで早速話して下さいました。それが非常に記憶力のよい方であったが、年号をすべて何年前にどうしたかと逆にくって話をれるので、、聞く方でよく考えて勘定して見ないと何時頃の事か分からなのです。

時には夜遅くなってから頼むと自ら火鉢に炭をついて話をして下さいました。

そんな時はいつも火箸を用いないで炭を手で掴んでそのまま手を洗わないで顔を撫でまわされるので顔が真黒になりますが、一向平気でお話をしておられました。

 

(四)

火鉢に手をかざすのに先生は煙草を飲まれなかったせいもりましょうか、いつも火箸で火の中をかき廻してばかり居られました。そしてたつ時火箸を火の中へ突き挿したまま行ってしまわれるので後から来て火鉢にあたる者がうっかりすると火傷をしました。

 

(五)

とにかくすべてやり方か他の人と反対で「ほしい、おしい、かわいい、にくい」と八ツの埃を教えて行くのでも普通の人なら拇指から折って行く所を、先生は小指から一二三と数勘定をせられました。

 

(六)

又先生は几帳面な方だけに本部の朝夕のお勤めに外れる事が嫌いで殆どが欠かされた事がありませんでした。

当時は現在の様に「朝勤め何時夕勤め何時」と時間が定まっているのではなくて管長公(その頃は教長さんと申しました先代の管長公です)がお出ましになるとす呼び太鼓を打ってお勤めに出ました先生も成るべく外れない様に心掛けておられたし傍の者の先生に居られる時にする様にしていましたが、どうかした具合で先生がお湯に入っておられる間に呼び太鼓を打つ事がありました。

そんな時先生早速お湯から上がってよく身体を拭きもしないで着物を着て袴の紐を結びつゝ神殿へ駆け付けられました。そして若しすでに「ちょいとはなし」が済んで「あしきをはらうて」に移っているとしますと先生は拍手も打たないで自分もそれに合して「あしきをはらふて」から始められました。