神様のお話は、取次の本部員先生に万ず委細の元の理を諭さしむる神のお話であります。よしやそのお話が何の先生がなされてもそれは同一神の同一の理の上に立った取次話として同一の理に受入れねばならぬ性質のもので、「あの先生の話、この先生の話」というて、決して隔てをつけるものではありません。それでこの書に集輯した神話は一切それを神の取次ぎ話としてこれを講話せられた本部員先生の姓名を記載せぬ事にしたのであります。
「元一つの理が台や」という神様のお言葉があります。万人助一条の為にお働き下さる人は、時々別席を運んだときの自分の心に立返って、穢れたる「人間の心」を浄めて一歩一歩雛形の人とならねばなりません。そして、その神話の奥底に潜んでいる神様の御心に共鳴し、得たる実感に試策の砥石をかけねばなりません。かくて益々信仰の妙蘊にむかって向上して下されば編者等の光栄これに過ぎないのであります。
大正八年 初秋
天理教 同志会同人
大正十一年一月二十三日印刷
大正十一年一月二十五日発行
奈良県山辺郡丹波市町字古留百十二番地
発行者 天理教同志会
神様のお話は、取次の本部員先生に万ず委細の元の理を諭さしむる神のお話であります。よしやそのお話が何の先生がなされてもそれは同一神の同一の理の上に立った取次話として同一の理に受入れねばならぬ性質のもので、「あの先生の話、この先生の話」というて、決して隔てをつけるものではありません。それでこの書に集輯した神話は一切それを神の取次ぎ話としてこれを講話せられた本部員先生の姓名を記載せぬ事にしたのであります。
「元一つの理が台や」という神様のお言葉があります。万人助一条の為にお働き下さる人は、時々別席を運んだときの自分の心に立返って、穢れたる「人間の心」を浄めて一歩一歩雛形の人とならねばなりません。そして、その神話の奥底に潜んでいる神様の御心に共鳴し、得たる実感に試策の砥石をかけねばなりません。かくて益々信仰の妙蘊にむかって向上して下されば編者等の光栄これに過ぎないのであります。
大正八年 初秋
天理教 同志会同人
大正十一年一月二十三日印刷
大正十一年一月二十五日発行
奈良県山辺郡丹波市町字古留百十二番地
発行者 天理教同志会
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