本部員別席講話 理の御話     第三

  別席を運ばして頂くという事は、唯九席運んでお話を聞けばそれで良いと思うてはいけません。その九席運んで居る間に生涯の精神を定めにゃならん、そうでなければ何の効能もないのであります。

 以前は一人一人が御教祖様のお膝元でお話を頂戴したものでありますが、お道がだん/\と盛んに成って行くに従って、一人/\では他の大勢の人達を待たして置かねばならん、それではその多勢の子供が可哀想であるという御言葉から、こうして一度に皆がお話を頂戴することになったのでありますから、皆様もその精神で運んで頂けねばなりません。

 

 お授けを頂戴して働かして頂くについても、急かずに心を治めて居らねばなりませぬ未だ充分に先方の心も出来ていないのに、判を取って結社をする様な事では折角出来かかった講社も逃げてしますことになるで、何分にも先方の心を充分に修理する様にしていれば、自然に成り立って来るのが道であります。そして道が成り立って来ても、教会設置を急がずに、講社から何卒教会の理を願ってくれと申し出て来ても、まだ早い、まあ/\と言う様におさえて置けば、教会と言うものは出来るなというても自然に出来立って来なければならんのが理であります。

 

 それで何事も自分から急いで言わずに、先方の心を修理することに熱心になっておらねばなりません。私は自慢の様ではありますが今までに、甲賀、水口、湖東、河原町の四つの大教会を神様のお蔭で拵えさして頂いて来ましたが、未だに一遍も自分の方からこうせいともああせいとも言った事はありません。信徒さんの方からああこうと色々言うて来ても、まだ/\と言って抑えて来たのでございます。それがもうおさえ切れぬようになって許したら、それは/\もう豪い勢いで発展をして神様のお蔭で御守護を頂いて参りました。

 

 それで皆様もこれからお助けにお出で下されても、決して自分の方からああこうと言い出したり又急いだりせぬ様になさらねばなりません。そして自然に表れて来る天然の理を持つようにしなければいけません。天然の理は天の理、天の理は神のお心であります。天然自然というものは何時とはなしに成って来るのが天の理でありまして、それが天の理であります。天然自然に成って来る理も待たずして無理にどうしようこうしようと思うは天の理ではありません。なんぼ怜悧でも発明でもこの天の理に逆らって成り立つものではありません。天の理に逆らえば神の心に逆らっているも同様、神様に御守護して頂こうと思えば神様の心に添うて通らねばならんのであります。 

 

 また日々の勤めが第一。その勤めの中にも心の勤めは身の勤めと仰せ下されます。心の勤めは我が心に不足あっては出来ません。心に不足を思えば身に不足が表れる家に不足が表れてくる。我々の身体は神の貸物借物、月日両親様のお蔭で日々結構に暮らさして頂いておるのであります。例えば我々が朝むっくりと起き出るともう手水を使うために水の御恩になります。そして御飯の支度にかかれば火をいこしてその水を湯にします。こういう工合に我々は皆水と火との御恩、即ち月日両親様の御恩に預かっておるのであります。

 

 この水と火即ち月日様の御守護がなかったならば、なんぼ人間はえらいというても世の中に暮らしていく事は到底も出来ないのでございます。ちょっと一例を挙げてもこの通り、こういう工合に我々は何から何まで一つとして神様の御恩を受けて居らないものはないのであります。その神様の御恩を思い御恩報じをさして頂くには日々に心の勤めがこれが第一。心に不足を思わんよう、不足を言わんよう、また人に不足をささぬよう、我が身充分のたんのうしてまた人にもたんのうささにゃならんのであります。

 

 そのたんのうの土台とは、これは徳利にいれた一杯の水と神様がお教え下された。徳利に入れた一杯の水、水が徳利に一杯入っておれば何程振ってもそれはちゃぷんとも言わぬ、が少しでも水が減れば直にちゃぷ/\というて不足の絶え間がないのであります。何時も徳利に一杯の水を入れてある様に、なんぼ振っても振られてもちゃぷんという音さえも出さぬようにしなければ、真のたんのうの理が納まったとは言えないのであります。

 

 また神様が仰せになりました。「ふたりの心を治めいよ 何かの事も表れる」「夫婦揃うてひのきしん これが第一ものだねや」と。そして夫婦というものは「これがこの世の始めだし」であって、また家の土台となるものであります。その中、夫は家の柱、妻は家の土台石、女房は夫を家の活神として仕えなければどうしても家は治まらないのであります。人という字は男は左、女は右でありますゆえ、人となっておるのが順当でありますが、女房が少し豪くなると人となって衝突は免れんのであります。まだそれどころか、世間には入となって女房が夫よりも勢力の強いのがあります。こういうのがいわゆる世間で「かかとと」と言うて余りみっともよいものではないのであります。それゆえお互い日々銘々の身の役目という事をよく考えて、お互いにたんのうをして通らなければなりません。

 

 少しの事に不足を言うたり、また少しの事に怒ったりしてはなりません。怒り易い人は寿命が短い、何故なれば丁度火鉢の中の火の様なものでありまして、よくおこっている間はその火の寿命も短いが、ナマヌルの火は何時までも保つ道理でございます。さすればこの世は九の胴、九の世界というて、政治も九つの省で治めて居られば、また人間の身体の働きも眼、耳、鼻、口、右手、左手、右足、左足、男女一の道具というこの九つの道具で完全に行われて居るのである。

 

 また身体の中に内と外とに通じた穴は眼二つ、耳二つ、口一つ、表と裏との通じの穴とこの九つの穴があって、世界と身体とをつないで居るのでございます。このように、この世界は九の胴、(九)苦の世界でありますから、どんな中もお互いにたんのうをして不足を言い合わぬ様に暮らさねばならんのであります。

 

 神様は、人の定命は百十五才と決めてあると仰せ下されました。お互いに日々不足々々の心を取りのいて、誠真実の人間になって通れば「五十六十にして二十歳の働き、百十五才にして四十の働き」をさしてやろうとおっしゃる。神様の御目的は人間が皆々百十五才の定命を保ち「やまず死なずに弱りなきよう」になって、それから先は心次第に長生きをしてくれるようにとのお望みであるのでございます。

 

 上という字と下という字を御覧じろ。上と云う字も下と云う字も天井板一枚で上と下とで隔てられているやろう、そして上の者は下の者を羨み、下の者は上の者を羨んで、我が身不足/\を思うて居る。なれどその天井板一枚で隔てられて、上の者は下の事を、下の者は上の事がお互いに分らぬ、分らぬから我が身の不足をばかり思うているのである。それでこの度はこの天井板一枚、上も下もお互い羨み合う一の字をおすまし下さるので、これを神様は「一列すまして甘露台」と仰せ下されたのでございます。

 

 この道は「誠一つが天の理」「誠いうは一寸には弱い様に思うなれど誠より長き固きものはない」と仰せ下されたごとく、誠の心というは柔らか優しい心であります。例えば竹の様に柔かい心であって、松の木のような固いものではありません。竹は雪が降る、雪が降ってもその雪の重みで曲っているが、日光の光りが照り出すと竹を押さえて居った雪は跡形もなく消えて竹は復元通りになるようなもので、どんな苦労な目にあわされても、じっとして時節の来るまであせらずに辛抱し切るのが誠であります。一寸位、神様を拝んで御守護がないからとて神様を疑ったり、悪く言ったりするのは誠の心が治まっているとは言われません。

 

 その誠一つが天の理、誠真実の心を以って日々暮せば神様がお受取り下さるのである神様は人間の親、親ならば子供可愛いの心いっぱいである。神様も人間可愛い、人間助けてやりたいという誠一條のお心である。そこで人間がまた神様に助けて貰わにゃならんと誠真実の心治まるので、誠と誠で守護が下る。

 

 店屋へ行って、あの品幾ら何々、いや高い、もっと負けとけ、負けときます。と客と番頭が話が落ち合った時はポンと一つ手をたたく。その手は片方では鳴らぬ、両方合うので鳴るのや、即ち両方の心が合うのでポンと鳴る。神様のお心と人間の誠が一致した時に、神の自由用というものが下って来るのでございます。こうして誠一つの真実の心を治めたなら、如何なる事も「見抜き見通し」で、分らんという事がないようになるのであります。それで神は見抜き見通しであるとおっしゃったのでございます。

 

 ある時、教祖御存命中に一人の狂者が駕に乗せられて参って来ました。教祖様はその時その者に向って、「おまえの親はおまえの弟に二千何百円かを分配してやれと遺言している。それにおまえはそれを弟にやらずに皆我がものにしているやろう。」とおっしゃった。するとその狂者は「そんな事はない、自分は金を持ってはいぬ」と言って承知しなかった。そこで御教祖の申されるには、「無いとは言わさん。知らんとは言わさん、神が入込んで勘定してある、後には未だ三千何百円余るでないか。」と明言遊ばされたので、その為狂者も喫驚して赤面したまま逃げて帰ったという事であります。

 

 「誠一つは天の理天の理ならすぐと受取り、すぐと返すが一つの理」と仰せ下されました。私が故郷の方で布教さして頂いて居った時分、未だ教導職のない時分の事でただ今限り信心を止めてしまいます」と言うてお願いをいたしましたのです。それでは私はこの不思議なお助けをいただいてからは、その決心通りに勤めにかからしてもらいました。兄弟親類は大反対です。それでも私は何を言われても、ハイ/\と逆らわずに通らして頂いたのであります。それで私は只今お蔭でこんな結構な身分にさして頂いたのでありますが、その時反対した人を思えば実に可哀想であります。親類のある一家はそれから六年目に家内断絶をしてしまいました。

 「人が何事おうとも神が見ている気を鎮め」

 

 神様が見ていて下さるのであると、どんな事を言われても気にとめずに、一心不乱にお勤めをさして頂いて居れば、天然自然に何時とはなしに我が身結構にして頂く事は出来るのでございます。皆様は既に御教祖様の御苦労遊ばされた御事は御承知でございましょうが、角目/\を話せよとの御言葉でありますので、極ざっとお話をいたします。

 

 御教祖様は幼少の頃から何事にも御心立てのよいお方でございまして、勉強から帰られると直ぐ自分の部屋へ入って針仕事をなさいました。御両親も、家の娘は何故あんなにだろう、身体でも悪くはすまいかと御心配になった位でございました。また慈悲のお心が強くして難儀なものには自分の着物でもまた拵えた色々の織物などでも与えて大変お喜びになって居ったのであります。

 

 十三才の御時、庄屋敷の中山善兵衛様と御懇談が整いましてお輿入れをなさる時に、御両親様は教祖様に向って、「人間には五掟というものがある、それは仁義礼智信という五つであって、おまえも中山家へ嫁げば第一に親に孝行に、夫には貞淑に、下女下男には親切に、近隣には睦まじく、そして家業には精を出して働かねばならん。これが五掟であるからよく心得て生みの親の名を汚さぬようにしてくれにゃならん。」と教訓をお垂れになったのであります。

 

 それで御教祖様もお嫁ぎになってからは、夫や御両親によく仕えて、御両親の肩揉みを毎晩なされ、夜は遅くまで仕事をしてやすまれる時は下女下男が寝冷えでもせないかとその部屋を見回って、若しも布団よりそとに出て居るものがあれば布団を着せてやるようになされて御自身おやすみになったのであります。そして朝は一番に起き出でて茶を沸かし、それから下女下男を起こしてやるというようになされて、野良へ出て仕事をなさる時には二人分の仕事をなされ、人の嫌がる仕事を自分取ってなされたという事であります。また乞食などが来れば自分の温かい飯をその乞食に与えて御自身は冷や飯でお済ましになり、また十八才の御時など雨が降って野良の仕事の出来ない日などには近所の娘達を集めて懇ろに織物の業をお教え遊ばされたという事でございます。お子様が出来てからは、お乳が沢山にあったものですから近所の乳の不自由している子供たちには何時も恵んでやられて居られました。

 

 三十一才の御時、すでに御教祖には三人のお子供がありました。その時隣の家の足立家の一人息子の照之亟というお子さんが、乳が少ないので教祖様がお預かりになって養育してござった所、ふとした事からその照之亟さんが黒疱瘡に罹られたのです。その所で御教祖は大変お驚きになって医者にお見せになると、むつかしいとの事であったのでこれではどうもならん、人様のお子様を預かって居って若しもの事があれば親御に対して申訳ないゆえ、これを我が子の命を供えてでもこの子の命を捨てねばならんと御決心遊ばされまして、奈良の二月堂さんや方々の神様へ百日の間裸足参りを遊ばされたのでございます。

 

 何卒神様。照之亟様の命はお助け下されませその代り私の長男は私の家の相続人でありますからお助け下さるれば後の二人の子供の命は差し上げますそれで未だ足らぬば私の命をも差し上げます。なれど今はこの子に乳を与えねばなりませんから、私の命は暫くお貸し下され、その代わりこの子が全快いたしましたその後は今とは言わず何時私の命をお召し取り下されても結構でございますから。」

 と一心不乱になって御祈祷なされたのであります。その中一番末の安子様がおかくれになりました。それを見て御教祖は、「これで照之亟様の命も取り止めた。」といって大変お喜びになったのであります。その後御教祖様は常子様をお生み遊ばされましたが間もなくお隠れ遊ばされました。これは前に死なれた安子様が生まれ変わって来られて、一人の命で二人の身代わりになられたのやと、御教祖がその後仰せになったという事でございます。

 

 また村の者達が時々中山家へ米や麦を盗みに来た。ある時下男等が盗人を捕まえて警察へ引き立てようと喧しく言い話していたとき、御教祖はそれをお聞きになりまして不憫と思召して、やかましく言う下男を押し鎮めてその盗人に懇々とお話を説き聞かして、その米を与えてお許しになったのであります。そしてその後で下男達に、「あの米には恨が籠って居るから与えたのや、あの時見つからなんだらあの米はとれたのにという恨みがあってはどうもならん。人の恨みほど恐ろしいものはないのや。」と仰せ聞かせになったという事であります。

 

 天保九年十月二十六日、教祖様に神懸りがありました。「さあさあ我は天の将軍、国常立尊なり、この度みきの身体を神の社と貰い受けた。これに承知しない時は一家断絶」というてお降りになる。続いてまた天井でガタリと音がして、「さあさあ我は天の将軍、面足尊なり・・・・・」というておおりになる。こうして次から次へと十柱の神様皆お降りになりました。それからというものは、御教祖様の身体は神様の身体で、今まで中山家にあった沢山の田地田畑家屋敷庫まで総べて人助けのためにほどこせと仰せになるとおっしゃって、皆お恵みになったのでございます。

 

 田地を売れ、山を売れと神様がおっしゃる。そこで教祖様は皆お売りになる。とう/\しまいには代々住み慣れたお本家まで人手に渡されて教祖様と秀司様、小寒様とは納屋へお移りになって、月の光りで機をおって下されました。秀司様が余り見兼ねて、なんぼ神様の仰せだとは言え先祖代々伝えた本家まで売り払っては親類のものに対してすまんからとおっしゃると、直き御教祖の御身上に来る、仕方なしに承知なさるとすぐお治りになる。こういう工合にしてもう今は食う物にさえ差支える様におなり遊ばされた。

 

 そこで秀司様は薪や炭を売りに丹波市の方へお出でになる。紋付を着ていかれるので、紋付の薪屋はんやというて誰一人買ってくれぬ、仕方がないので今度は宿屋をお初めになりました。所が天理王など祀る奴は宿屋をしてはいけないとて廃業になる。それで今度はまた伊降様の名で湯屋をなされた、それもまた廃業となる。とそういう工合に何をしてもかをしたも迫害と??とを?る、その中に御教祖様は屡々奈良の監獄へ拘留なされる。

 

 御兄妹二人は平常その後では淋しく泣き暮らして居られたのであります。そして空腹をかかえて。香の物を噛っては水を飲みして暮され、夜々しのんで伊降様が持って来て下さる握り飯を持って居られるという様な有様であったのであります。教祖様が御供を出されたというてまた監獄へ引っ張って行かれなされた後で、恰度それは村の祭日でありました。

 

 「のう兄さん、今日は村の祭日で以前の中山家ならば今日は多勢の親類を招いて据え膳で酒宴が始まっている時分で、我々二人も人様から羨まれて通っていた身分だのに今は斯く落ちぶれて女の私などはよろしいが、兄さんにはせめて人中へ恥ずかしくないようにして出して上げたいなれど、お羽織一枚さえない今の始末、これも女の妾の不甲斐なさゆえ、どうぞお許しなされて下されませ。」と小寒様が仰せになると、秀司様は、「いや/\、そうやない、私は男でかまわんが、おまえは女でしかも年頃の娘や、他家の娘さんたちが美しい着物を着て嬉しそうに歩いて行かれるのをみれば、ああ世が世であればおまえもあんなに美しくして下女でも伴につれて行ける身分だのに、こんな憂目を見せにゃならんのだ。なんぼ心を治めていても、矢張り年頃のおまえやもの、一枚の美しい着物でもほしいやろうと思えばわしはわしはこの不甲斐なさを何と言おうやら、胸が張り裂けてしまうやろや。これもこの兄に甲斐性がないからとて、どうか小寒よ、ゆるしてくれ。」とおっしゃって、二人は互に抱き合って声を上げて泣かれたのでございます。

 

 夜遅く伊降様が来られて、木の葉を拾い集めて焚き火をなされたら、二人のお目は腫れ上がって居ったということであります。それで御本席様は、いつも、

俺はその時の事を見ているので、塩と梅干の外には何にも勝手に呉れとは言わん、言われん。勿体のうてそんな事は言われんのや。」

 と仰せになって居ったのであります。この漬物と水でお暮らし下されたこの時が一番のどん底でありました。それでお道のものはこの水と香の物とをさえ忘れなかったならば、如何なたんのうもさして頂けるし、教祖様はじめ皆々様の御苦労して下された事もわかりますし、神様の有難さも知る事が出来るのでございます。それで道の者には、どうでもこうでも、この香の物と水との事を終始忘れぬように、心に治めさして貰って通って行かねばならんのでございます。

 

 もう一言申し上げます。

この道は産の神様でありまして、お神楽歌にも、

「不思議な助けはこの所 おびやほうその許し出す。」

 と仰せ下されてあります。これは、大日め尊様が親子胎内の縁を切って下さる、大戸辺尊様が子を引き出して下さる。そしてくにさづちのみことさまがその後をつないで下さる。この三つの御守護の理をもって三(産)というのやと神様が仰せになったのであります。これが「おびやのゆるし」でございまして、又「ほうそのゆるし」は、御教祖様が足達家の照之亟様の黒疱瘡をお助けなされた縁を以って、それからこの「ほうそのゆるし」が出たのであります。

 

 このように、常天理大神様は先ず産と疱瘡の助けからその他万一切のお助けをして下さるのであります。そして一人一人と押し広めて、この世の中の人という人を皆助けるために、助け一條のこの道をおつけ下されたのでございますから、別席お運び下されて後は、誠真実の立派な人になって、何でも道のため世界のため人のためにお助けをして下さらねばなりません。神様は、

 「何ぼ信心したとても 心得違いはならんぞえ」

と仰せ下されます。何ぼ信心していても、誠真実の人間に立替さして頂かねば道の邪魔になるとおっしゃる。恰度、我々の歩いて行く道の真ん中に松の木があれば、如何にそれが枝ぶりの良い立派な木であっても、切るのが惜しいというて放って置けば歩く人の邪魔になる、それで惜しいけれども仕方がない、その松の木を切ってしまわねばならんように、このお道にも誠のない人は道信心の邪魔になる、それで神様から見れば同じ神の子であって可哀想ではあるが、多勢の子供には代えられん、涙ながしながらにでも切り捨ててしまわにゃならんとおっしゃるのでありますから、何でも話一條を充分胸に治めて、道の邪魔物となって神様に切り捨てられる様なものとなってはならないのでありますから、よく心得て、別席九席運んでいる中に充分話を聞分けて、すんだ/\美しい心にお授けを頂戴して、神様の片腕と思われる位の立派な人間となって頂かねばならんのでございます。

 

 それでこの席の話は、軽く思わんよう、充分重う、充分尊んで、神様からの直のお話であると心に治めて、九席の中に神様に受取って頂く誠の人となり、お授け頂戴してからも、助け一條のために多くの病み苦しんでいる人々を助け出さして頂くという決心を、固く固く心に決めさしてもらわねばならんのでございます。