本部員別席講話 理の御話 第五

  こうして皆様が入り変わり立ち変わりして御別席をお運び下されて、九席運んでお授けを頂戴して下さるのでありますが、そのお授けにも三段あると神様は仰せ下されますそれは前世の徳でお授け下さるのもあれば、今世心が澄んで居るのでその澄んだ心にお授け下さるのもある、また今は心が澄んでは居らぬが将来を見越してお授け下さるのもあります。以上、お授けの中にも三段があると仰せ下されたのであります。

 

 そこで神様は、「神を真実親と思うなら如何なる所も神は助ける。」と仰せ下されたした。我々は自分が何か食べたいと思うた時には直ぐに「親様は」と思って御神饌も上げにゃならん、また寒いなあと思うた時には「親様は」と思うて御供えもさして頂かねばならん、こういう具合に我々は何をなすにも先ずさきに親様即ち神様という事を考えさして貰って、自分の事や我が家の事は後廻しにせにゃならんのであります。

 

 部下を順教してみますと、信心するにも色々の信心があります。神様の前の三宝は鼠に噛まれてかけて居りお皿の中には何にもお供えをしてないという所もあれば、神棚には蜘蛛の巣が一杯に張りつめてあってお社は鼠の住家になって居るというような所もある。また、一ヶ月参銭の講社金を何ヶ月も延ばして置いて、所長さんに少し負けてくれの、いや負けられんのと言うて居る様な誠に恥ずかしい所もあれば、また時には神様に立派な魚やお酒をお供えしてある。よく聞きただしてみるとそれも実は内の旦那さんが魚や酒が好きなので一寸神様へ見せてあるのやというような所もございます。

 

 神様はお供えしてお上がりにならねばこそ、美味い魚肴も酒もお供えするのや、それがもし神様がお供えするとお上がりになるのだったら中々お供えする所じゃないのだがと云う様なものであるのでございましょう。

 

 これをもし我々の肉縁の親と考えたらどうでありましょうか、これはお上げは致しますが呑んではいけません、これは並べてはいたしますが食べてはなりません、これは私がほしいのですからと云う様に我々の肉親の両親にしたならばどうでありましょう、こんな事は人間同士として滅多に出来ない事であります。さすればその人間である両親以上の天の親様に対しては、尚更そんな事は出来ない筈なのでありますが、そこは矢張り人間で目に見えない神様には勝手がし易いのであります。これ即ち、神様を我々真実の両親であると思うて居らない証拠なのでございます。

 

 真実に親に上げるものならば、食べて貰って嬉しいのである。真実神様にお供えするものならば、そのお供えが会長が食べようが役員がお下げしようが、神様に差し上げたものであるから自分にお下がりを貰うが貰うまいが、そんな事には関係のない筈なのであります。また中には、自分とこの神様にはうまいものをお供えするが、教会の神様には余ったものしかお供えに持って行かないという様なのもあるが、真に妙な所へ目を付けたものではありませんか。それで神様は「ほしい、おしいの心のかかったものは要らぬ。」と仰せになっております。

 

 ほしい、おしいは埃であります。それゆえ、真実親様にお供えをさして頂こうと思うならば、何に限らず「さして頂いて結構」という心を以って勤めさして貰わにゃならんのであります。そしてその真実神を親と思うて通る心で日々勤めさして、頂いたならば、如何なる所も神様はお助け下されるのでございます。

 

 また何事をなすにも自分の力を一杯尽くした上で神様にお願いをするというようにせにゃならんのである。理を取り損なうたり話を聞き違えたりせぬようにせねば、大変損をせにゃならんのであります。例えて言いますれば、お神楽歌に、「肥えを置かずに作り取り」という事があるから、旱天が続いて作物が枯れそうになっても、唯心さえ澄まして居ったなら神様は立派に豊作にして下さるのだ、と思うて夜は早く寝て、朝は遅くまで寝床の中に転がっていて、川から水を田畑へ引かず、川になければ井戸からでも水を入れるという事をせずに、唯一生懸命に神様にお祈りするだけであったならば、何ぼ神様でも滅多に豊作にして下さるという事はない。

 

 これに反して、老人は老人で子供は子供で、夫婦揃うて皆田畑へ出て汗水を流して水を田へ引き入れ、もう水もなくなって今更仕方がないという様になって始めて神様にお願いをする、という風にしてこそ始めて神様もその心憐れんで御守護をして下さるのであります。この事をよく考えてみますと、前のは道の話の理を取り違えしたのであってするだけの事をせずして神様々々と倚れるのであるか、後のは所謂人事を尽くしてしかして後天命に待つ、即ち神様にお願いするのでありますから、どちらを神様がお受取り下さるかと申しますれば勿論後の人即ち自分の出来るだけの事をして及ばぬ様になって始めて神様にお願いするという方の心をお受取り下さるのであります。

 

 換言しますれば、前者は勤める事を勤めず寝ていて自分の思う通りに神様を使って行こうというのでありますから、神様に叱られるのは当然の事なのでございます。それで皆様も、此道の話は充分に聞いた上にも聞かして頂いて、よくその話の理を呑み込んで取り違いや聞き間違いをせぬ様にして、勤め一つにしても自分の出来るだけの事は勤めさして頂き、出来るだけの事はさして頂いて、そして力及ばぬ様になって始めてそこを神様に御願いするという風にしなければならんのであります。

 

 また御道のために苦労難儀さして頂くのは丁度種を蒔いて行くようなものでありますから、楽しんで勤めさして貰わねばならんのであります。そして少しばかし種を蒔いて行ってその途中で苦労するのが嫌になったり、楽をしたり美味い物を食べたりしたうなづては、折角蒔いた種も生えて来ぬのが道理でありますから、布教さして頂くについても暫くすると直ぐ大きな顔をして鼻を高くしたり物を取り込み一方になったりするから、四方の人から嫌がられ布教に行ってもあんな人には助けて貰いたくないという風になって、なんぼ所長になりたい会長になりたいと思うても神様の御守護がなくて、講社が纏る所が却って出来た講社も退散してしまうという様になってしまうのであります。

 

 これに反して、何でも海川山を越えて遠い所へ運び一生懸命に勤めさして頂いて、何でも自分の物は施して取込み主義な事をせずに布教さして頂いたならば、あっちからもこっちからも先生来て下され来て下されと言うて呼んで呉れるう様になって、自分は会長になり度くなかっても自然に成らねばならぬ様になって来るのが理であります。熱心に誠を尽くすので神様は御守護下され、教会はドシドシと盛大になって行くのでございます。

 

 御教祖様は五十年間物をお施し下されたけれど何一つ持って来い、持って来て呉れと仰せになった事はないのであります。教祖は平素無形の物と有形の物とを我々にお施し下されたのであります。即ち飢えたる者には食を与え、心の埃、身の病に苦しんでいる者には八つの埃、借り物の理を御話し下された。そしてしかもそれに対する報酬を何一つお求めになった事はないのであります。

 

 それで只今本部に於いても決して何を持って来い、角を持って来いという様な取込み主義な事は申して居られんのでありますが、ここかしこから自然に成り立って来て居るのであります。どうか勤めさして下され、どうか上げさして下されどうか御恩を報じさして下されと言うて、自然に成り立って来て居るのであります。

 

 親様は借物の理を常に信じて居られたから、順境に居られた時も逆境にお立ち遊ばされた時も、百万石の財産をもって居られた時も今日食べて明日食う事が出来ないという様な時にも、常に助け一條より外の事はお考えにはなって居らなかったのであります。これ借物の理という事を真に信じて居られたからでありまして、我々も凡ての物は皆神様からの借物であるという事を充分治めさして貰わねば、先が案じられるのであります。先案じをするから心が静かでない。心が静かでないから人を疑う、人を疑うてそして我が身に埃をつけるのであります。

 

 我々は借物の理も充分聞かしていただいて、この身体は我が身のものではない、これは神よりの貸物、借物であるという事をよく承知して居る。承知して居るならばその借物を大切にして損じない様にせにゃならん。そして損じた時にはそれだけ直す修理珍も出さにゃならん。そしてこの身上を貸して頂いて居る間はその借り賃も出さねばなりません。

 

 毎日こうして結構に身上を貸して頂いて居って、我等は日々どれだけの借り賃を神様に払って居るのでありましょうか、月に三銭の講社金を出して居るやないかと言うでしょうが、さすればこれを一人の借り賃としても一日僅か一厘の借り賃や、家内十人あるとしたならば一人一日一毛の借り賃やないか、我等の命というものは何百円出そう何千円何万円出そうと言うても買える命やありません。今仮に一人の命を五億円としてもその五億円に対する一日の利子が一厘とは甚だ以って恐れ入る次第ではありませんか、まして五億円出しても十億円出しても買えへん命に対する借り賃としては実に望外じゃありませんか。

 

 こういう風に考えて見ますれば、神様よりの貸物に対する我々の借り賃は余りに安すぎるではありませんか。それでこの広大無辺なる所の神様の御恩を思いはして頂きますれば我が身のこの命を神様に捧げる位は何でもない、大いに神様のために勤めさして貰わねばならんという気が起こって来るので御座います。

 

 それであるから、この神様の御恩という事を十分心に感じさして頂いて居れば信心を止めようとしても止める事は出来ないのであります。信心を止めるものは即ちまだこの神様の御恩という事が充分に分かっていないのであります。自分が死ぬ所を神様に助けて頂いた者はどんな事があっても信心を止めるという気は起こらない、それは充分神様の御恩という事を感じて居るからであります。

 

 御教祖様は真にこの神様の有難さという事を感じていらっしゃったので、奈良の警察へ引かれても親類に反対しられても決してこの信心という事をお止めにならなかった、そして常に人を助けるという事を思い止まられた事はないのであります。御本部員さん方も皆その通り、それでこのどうしても止める事の出来ないのが信仰でありまして、これが真の信心であるのでございます。

 

 神様を真実親と思うているから、それが信仰となり両親に対しては孝行となり君に対しては忠義となるのであります。

 「しるしあればしるしあり、しるしなければしるしない

 と神様も仰せになりました。蒔かぬ種は生えぬと同じ道理で、どうしても勤めるだけしか表れない、感じるだけしか見えて来ないのであります。心にしるしあれば神様は病気もお助け下さる。心に善悪あるで身に善悪の印しが表れて来るのや、どんなに信心していても真の信心でなかったならば表れてこない、それで自分は信心が古いからと言うて威張っても、後から信心して心に感じて良い眼を見せて貰うものがあれば即ち自分がその人に追い越されたのである。そこで神様も、

後ろの溝を通しても前の溝を通さねば水は流れぬ

 と仰せ下されてありまして、自分の親を大切にせずに他人の親を大切にするという事は出来ないし、自分の国を愛せずに他所の国を愛するという事も出来ない、また自分の天子様を大切にせずして他所の天子様に仕えるという事も出来ねば自分の家を治めずして他所の家を整えるという事も出来ないのである。そこで自分が感せずして人にも感じさそうという事は滅多に出来ない事でございます。

 

神様は、

 「年限をかけよ

 と仰せ下されてあります。我々は人一倍の勤めをさして頂かねばなりませぬ。教祖様は朝早くから起きて夜遅くまで人一倍のお働きを下されたので、人からも誉められなされたのであるから、我々もまたこの人一倍の働きをして布教さして貰わねばならんのであります。さすれば人が十年で成り上がる事も自分は五年で出来る。そして身も心も神様に捧げて、長い年限をかけて徳を積まして頂かにゃならんのであります。

 

 皆様も布教する上について、親や教会から布教費を出して貰って布教する様では何にもなりません。それはその布教費を出した人に第一に理が行くからであります。教祖様は百万石の財産を世のため人のためにお使い下された、我々も自分の身を使い自分の物を使って布教さして頂かねば、真の理を造らして頂くという事は出来ないのであります。それで何でもかでも神様を真実親と思いて心を治め、借物の理を会得して先ず自分自信から治めかかり、そして人様を助けさして貰って一生懸命に布教さしていただかねばならん事なのでございます。

 

  世の中の人は、昔よりも今は長生きするものが少ない、身体の壮健なものが少ないと言うて居る。けれども、岩手県などでは今なお百歳以上の人は数十人も居る、そして一軒に三夫婦位は普通である。これは何ゆえかと言えば、この地方の人は至って質素でまた疑い心もなく何時も円満な心で暮して居る、平静は稗や豆を常食として食べて居り、大病人が出来てもうあかんという時になれば始めて白い御飯を炊いてやる、そして死んでも「あの人は白い御飯を食べて死んだのやから満足やろう」と言うて居るのであるそして着物でも一枚拵えれば何時までもそれ一枚きりで、破れたらその上へ衣のつぎを当てて着て居る。それで着物の厚さなども一分も二分もある位である。こういう具合に万事極く質素にそして素直に生きながって来て居るのであるから、埃や罪というものを積まない、それで自然長生きが多いのだというような訳なのであります。

 

 また北海道へ行けばアイヌ人というのが居ます。このアイヌには今まで病気というものがなかったのです。それがこの頃では病気が出来て来た。それで彼等は、「シャモ(日本人)が来て病気をうつしたのや」と言うて居ります。この訳は、アイヌ人は酒が好きであるから日本人の以って行った一升の酒と何十円という様な熊の皮とを交換して居るそしてその酒を呑んで喜び、腹が減ったら川へ行って鮭や鱒を取って食べて居って、只寝転んで何のほしいおしいという様な事もない、全く暢気で暮して居るのであるから自然長生きもすれば病気という様なものもなかったのである。

 

 ところが近頃シャモ(日本人)と商売の取引をする様になってから、何時とはなしにその狡猾なのを見習ったので知らず知らずの内に埃を積む様になった、それでこの頃ではその積んだ埃のために病気になるのであるが、彼等はそんな事は知らないから、只シャモが来て病気を移したのやと言うて居るのであります。

 

 所がアイヌは中々信心が深い。私共が彼等病人の所へ行って、丸を二つ書いて拝む真似をして見せると、そのアイヌは一生懸命に拝んで居る。そして其の侭放って置けば一日でも半日でもそうして拝んだままで居る。(彼らの神は、天神、地祇、義経である)そして助かったら何時でもその人のとこへ助けて貰いに来る。決して他人のとこへは行かない、そして何でも神様に上げて呉と言うて持って来る、という様に実に欲の心というものは一つもないのでありますそれで神様はこんな者にはお話が通じずともその心を受取って直ぐ御守護を下さるのであります。

 

 我々は暮して居る中にだん/\と罪を重ねて埃を積んで行く。そこで此の侭にして置いてはならないと、神様はそれを人間の一番辛い病気というものにしてお知らせ下さるのでございます。医者、呪い、占い、八卦、祈祷、お灸という様なものはこの欲心をとるために神様がお拵え下されたものであります。

 

 お医者にかかれば苦い薬を飲んで命より二番目の大事の金を医者に渡さねばならん。お金を払うという事に依って多少欲が取れる、それで身体が壮健になって来る。少し壮健になればまた欲を出す、それでまた病気になって医者にかかって金を投げ出す。こういう具合に神様は我々の欲心を取るために医者やお灸や色々のものをお拵え下されたのである、それで何も医者によって欲心をとらいでも、又お灸や呪いで欲を捨ていでも、欲の心さえ取ってしまえば神様は助けて下さるのでございます。

 

 それで昔の人は心を正しく持って身を質素にするので長生きをしたのである。即ち心に錦を着て身にボロをまとうていたのであるが、今の人はその反対に心には欲と埃の固まりを拵えていてそして身には立派な錦を着飾って居る、それで今の人達は命が短いのであります。御教祖様は、

無用の所へ一円費やしたら一年命が縮まるで

 と仰せになりました。それゆえ我々も心に錦を着る様にして充分心の埃を払わにゃなりません。

神様は、

「病の元は心から」 

とも仰せになって居って、実にこの八つの埃というものが四百四病の元となるのでございます。

 神様はこの世で尤も罪の深い欲の深い者からお助け下されるのであります。それで本部員などは皆そんな者たちであったのです。それが大病にかかって医者や湯治やお灸や御祈祷とあらゆる術をつくしたのだが助からない、そこでどんな事をしても助けて欲しい死にともないと色々手を尽くしてみるけれども良くならない、それでしまいには馬の糞だろうが穢多だろうが何であろうがかまわない、助けて呉れるものならば信心しようという低い心になる。

 

 そうしている中に御教祖を知って天理王だろうが何だろうがかまわぬ、助けてやろうというものなら助けて貰おうという決心をして、お話を聞きに行く、すると身は神の貸物借物であるから自分の思う通りにはいかぬ、そして病の元とは心であるから心さえ改め変えたならば身の病は助けて下さるとだん/\承って、だん/\と心を改め正しくして、今までは人が右といえば左へ、左といえば右へと何でもかでも反対していたものが、今度は馬鹿と言われてもハイと言い阿呆と言われてもハイと言い神様の仰せならば何でもと決心して、今までと、ころりと変わった人間になって人に心を合わして通る様に軟らかくなる。

 

 そこで身上は速やかにお助けを頂く。何でもこの御恩を報いにゃならぬと決心する、するとだん/\、大和の狐なんか信心せいでも村には村社もあれば郷社もあると、そろ/\親類からの反対を持ち出される、それでもこの身を助けて頂いたのやからと益々信心すると今度は親族会議を開いて親族の縁をきる、親は親子の縁を切り兄弟は兄弟の縁を切ると言い出すそれでも止めないと遂に一人ぼっちになってしまう、すると今度は布教するにも小遣いを呉れる人が無くなってしまう。警察へ何遍も何遍も拘留さされる、そして叱られても蚊で攻められても止めぬ、止めよと言えば止めぬといい、布教してはいけないと言うても布教すると頑張る。

 

 そうしてお助けに行っても何にも知らないから、月日二柱の御守護を説いて置いて「何でもこんな神様が十柱さん居られるのや」と言うて置く、また八つの埃にしても皆知らぬから欲しい、惜しいという様な埃が八つある、これがいかぬのや位でお茶を濁して置く。そして「信心すれば確かに治る」と口言を切って帰る。まあざっとこんな有様であったのですが、それでもその誠という心が強いから御守護下されてどんどん病人は助かってゆく。

 

 そして今まで食うや食わずに不自由難儀しておったのが、あちらからも先生、こちらからも先生という風に大勢集まって来て何不自由なしに暮さして頂く様になって来た。そして時々には昔の事を思い出して高慢な心出したり、欲な心や、ねじけた心出しては神様のお諭しを思い出して心を磨いて徳を積んで御教祖様に誉められる様になって来た。そして他人さんから本部員やというて崇められる様になったのであって、御本席様始め本部員達は皆こうして通って来たのであります。それでこの御本部は「ひながた」と仰せ下されたのでございます。

 

 即ち、世の中の一番罪の深い一番心のねじけた者が神様の教えによってこんなに軟らかき低き人間となって、しかも徳を造る事が出来たのであります。これ即ち神様の仰せになった「心一つが台や」という御教えでありまして雛形となる事が出来たのでございます。それで「徳を受ける所は地場より外にないぜ」と教祖様の仰せ下された通りでありまして、布教せず勤めもせずに唯暮していてはそれは糞の製造者に過ぎんのであります。こんなにして年限経っても教会で火鉢かかえて座ってばかりいては理を受ける事も出来ず、一人前よりも煙草代が余計にいる位なのであります。また身を勤めさして貰う中にも所謂「重箱先生」となってはいけない、それでは自分に値打ちをつける事も出来ねばまた神様の御守護を頂く事も出来ないのであります。

 

 それで何でもかでも働かねばならん、寝てばかりいては貧乏になるばかり、その貧乏も種を蒔く貧乏ならばよいが、そうではないのであります。御教祖様は百万石の財産をなくしてお蒔きになって、その種が今生えて来て、道のためならば教祖のためならば命までもという様な大元気な者が幾万という位出来て来たのであります。

 

 御教祖は神懸りのあるまでは二人前の働きを遊ばされた。(教祖の略伝省略)そして四十一歳から五十四五歳までの間に百万石の身代を全部人に施してお助けなされたのでございます。

 そこで御教祖は、

堅うて柔らこうて、柔らこうて堅うて

 と仰せ下されました。それは何事にても右といえば右、左といえば左という様に神様の仰せには蒟蒻の様に柔らこうなってそしてまた神様に一度定めた心は例えどんな反対があろうとも邪魔が入ろうとも決して動かさぬという堅い精神定めをするという事とを仰せ下されたのでありまして、人間は堅いばかりでもいかねばまた軟らかいばかりでもいけない、堅うて柔らこうて柔らこうて固い心にならねばいかぬと仰せ下されたのであります。

 

 また、「急ぐな、急げ」とも仰せ下されてあります。これも信心するに急いで途中で転がるような事があってもいかねばまた急がずに理を後れさしてもいかない、即ち急ぐな急げという所の理合いを悟らねばいかんという事を仰せ下されたのでございます。それで倦まず、たゆまず一生懸命に誠の心を以って布教すれば、人が十日かかる所でも自分は五日で出来上がるという事をお教え下されたのであります。

 

 それゆえ、この「心一つが台」でありますから、死ぬるも生きるも、徳を積むも埃を積むも皆この精神一つの定めように依るのであるから、十分心掛けて、身の錦を飾らぬよう、心に十分の錦を飾って身にはボロを提げて、人助けのためこの道を十分通らして頂かねばならん事だと思うのでございます。